こんにちは〜^ ^
猟期終了でございます!
思い返せばたくさんの発見があったハンター1年目でした😊ブログ名「子連れハンター」に少し近づけたと思います。
1年目の課題・反省・成果・感想など、しっかりアウトプットしておいて、来シーズンには更にスキルアップできるようにしたいと思います。
獲物の命を奪う
今シーズン僕が命を奪った獣は3頭。
鹿1頭とイノシシ2頭です。
色々な作業の面で慣れは出てきました。山からの引き出しや解体など、ずいぶんスムーズなりました。罠にかかっている獲物を見つけた時、素直に「やった!」と喜べるようになりました。
でも慣れてきても躊躇する瞬間があります。止めのナイフを胸に刺す時です。
「この一手でこの命は終わるんだ」と。
ナイフを刺してしまえばもう後戻りは出来ません。逆にナイフを刺さなければ、この命は再び野山を自由に駆け回ることができるわけです。
3頭とも畑のTさんが一緒に居てくれたので思い切ることが出来ました。1人だったら逃げたくなって先延ばしにしてしまってたと思います。(生け捕りなので)
来シーズンからは1人でもちゃんと思い切れるようになりたいですね。
でもこの躊躇する瞬間が、命の重さを感じる瞬間だと思います。
僕はこの前後に、山に向かって「ありがとうございます。美味しくいただきます。」とお礼を言います。止め刺しをする畑が山の前なので、本当に自然に出てくる言葉です。
止め刺しを境にして、命と肉を区別しているんだと思います。
止め刺し以降は「肉」
腹出しの時は温かいです。猟期は冬ですから湯気が立ちます。
「さっきまで生きていたんだなぁ。」と実感します。
でも、骨と内臓と筋肉と脂肪の塊です。この獣は二度と動き出すことはありません。腹出ししながら食べたい内臓を探したり、脂の乗り具合を見ています。
止め刺しまでは「きちんと殺す」こと、止め刺しからは「美味しく食べる」ことを意識していると思います。
片桐さんの動画を見ていると、止め刺し前から「美味しく食べる」ことへの意識を高く持っておられることがわかります。
僕はまだまだ修行が必要ですね(^◇^;)
腹出しが終わって一晩吊り下げておいた獣は、もう完全に「肉」です。吊り下げておいたのを見に来た人、解体を見学・体験した人にとっては、毛皮の付いている状態ではまだまだ「肉」としては見れないようです。
解体に立ち会う人の殆どが、皮剥を終えて大バラシを始めた辺りで、「こうなったらもう完全にお肉やなぁ」と言われます。
子どもに感じて欲しい「命」
僕の子どもたちは小3、年中、1歳なのですが、小3の娘は狩猟に興味津々です。そのうち自分もイノシシを捕まえたいと言っています。
そんなテンション高めの娘には、「命」を軽視してしまわないようにいつも気をつかっています。美味しく食べてもらうこと、解体を見て体験してもらうことはもちろん、実際にやらせてあげられない獲物の保定や止め刺しの話をよくしてやります。
「お父さんの罠にかからなかったら、今でも自由に生きていたんやで。」「牛肉も豚肉も鶏肉も、誰かが殺してお肉にしてくれてるんやで。」
そこが、日々の食べ物への感謝につながると信じています。
狩猟をしていない人から見ると
狩猟者は「動物を殺す。虐待する。そうすること楽しんでいる。」と捉えられがちです。
ゲーム性の強い狩猟であればそういう人もいるのかもしれませんが、本来の狩猟は、生きるため・食べるためのものであるはず。
解体体験を楽しくさせて、調理したものを美味しく食べさせるだけでは「命」を重く受け取ってもらうことは出来ないのかも知れません。狩猟に関わることを「楽しむ」だけの子どもを育てては意味がありません。
なので、2回目のイノシシの解体の時、子どもたちは何を感じてくれたのかを気にしています。1人、ゴムハンマーでイノシシの蹄を叩いていた子がいて、お母さんに注意されていました。
無垢な子どもたちからすると、皮剥段階のイノシシは毛皮の付いた「肉」であり、蹄はオモチャになってしまったのかもしれません。
解体の体験で、大人には伝わる「命」も、子どもたちには伝わらないのかもしれませんね。
まあそれも、経験の一部となって大人になってから分かるってことでもいいのですが。
これから解体を見学・体験してもらう時は、どうやって捕まえたか、どうやって殺したかも伝えられるようにしたいですね。話だけでは子どもたちに上手く伝わらないなら、写真や動画も必要に応じて。
そのうち自分の子どもには保定から付き合わせたいと考えていますが、安全性の確保が課題ですね。
脚を括られた必死の獣の姿は見ておくべきだと思いますが、必死の獣は本当に恐ろしい💧
今シーズン怪我なく終えられてよかったです。